Professor Seiichi Makino (Princeton University)

牧野成一 英文学を早稲田大学文学部で、言語学を東京大学文学部で学び、それぞれで学士号と修士号を取得。フルブライト給費生としてアメリカに1964年に留学、言語学の Ph.D. をイリノイ大学(シャンペン・アーバナ)で取得。1980年から1991年までイリノイ大学で日本語、文化論、日本語学を助教授、教授として教える。夏のミドルベリー日本語学校の校長を1977から88年までつとめた。1991年にプリンストン大学に移り、以来そこで日本語、文化論と日本語学を教える。日本語科の主任を務め,夏は金沢の Princeton-in-Ishikawa の主任を務め、2012年に退職する。1996年からは毎夏コロンビア大学に夏期日本語教育修士プログラムをつくり、その教務主任をしながら,日本語教授法、談話文法、言語文化学、認知言語学を教えて来ている。1990年3月に日本に導入して以来、毎年日本語の Oral Proficiency Interview のワークショップをトレーナーとして開いている。著作は単著・共著多数。主著を挙げると、『くりかえしの文法』大修館 (1980) 、『ウチとソトの言語文化学 – 文法を文化で切る』アルク (1996) 、Aspects of Linguistics: In Honor of Noriko Akatsuka ( 久野・ Strauss と共同編集 ) くろしお出版 (2007) 、A Dictionary of Basic/Intermediate/Advanced Grammar. Japan Times ( 初級、中級,上級がそれぞれ 1986, 1995, 2008) Japan Times 。

2001年に MLA の外国語教育学科会から外国語教育に貢献したことで賞をいただく。全米日本語教育学会( ATJ) の会長を2004から2007年までする。2007年には日本の日本語教育学会から同様の趣旨で賞をいただく。2009年にミドルベリー大学から名誉学位を、また、2014年には瑞宝中綬章をいただく。

現在の研究の焦点は認知学的な問題、比喩、時制、フォーマリティ、文法性などのシフト現象である。


漱石は未完の作品『明暗』でソト向きの「会話文」とウチ向きの「地の文」をどのように使っているのか

 この講演では、夏目漱石 (1867-1916) の未完の小説の「会話文」と「地の文」の関係を探ることです。そのために、漱石が段落の中でソト向きの情報としての「会話文」とウチ向きの情報としての「地の文」をほぼ網羅的にみていきます。
 漱石の最後の三部作である『彼岸過迄』 (1912), 『行人』(1912) 、『こころ』(1914) は「心理小説」と言われています。「心理小説」における地の文と会話文の関係を探るのは複雑な問題で、簡単ではありませんが、少なくともその根底に隠れている問題を明らかにしたいと思います。しかし、この研究の焦点はあくまでも漱石が朝日新聞に1916年の5月から連載を始め、それが未完に終わった長編小説『明暗』です。私の分析でわかったことは、漱石が会話文と地の文を実に見事に有機的に関係づけている点です。どうしてこのような分析になったかは、漱石がイギリス(ロンドン)に留学中から始まったイギリスの肖像画への強い興味、とりわけ、肖像画家としてのジョシュア・レイノルズ (Joshua Reynolds 1723-1792))の肖像画の心理表現に強い興味を持ち、帰国後、画家の津田青楓から絵画を学んで、視覚的な文学表現に強い興味を持ち、それが「明暗」に言語表現の視覚化という形で、『明暗』を描いてきたのではないかと思います。さらに、死の直前まで口に出さなかった漱石の「則天去私」の哲学が『明暗』に表現されていることにも言語哲学的に触れたいと思います。
 なお、『明暗』を未読の方は下の粗筋を読んでおいてください。

『明暗』の粗筋

 会社員の津田は、妻のお延と暮らしている。お叔父も好意からお延に金を与えたので、予想以上の金が手元に集り、費用のほうの心配はなくなった。
 古い外套をもらい受けるため家を訪ねてきた津田の友人小林から、お延は津田の秘密についてほのめかされ、夫に対して疑いを持つ。夫を見舞った折にお秀との会話を立ち聞きし、いっそうその疑惑を深めた。夫を問い詰めようとするが、うまくはぐらかされてしまい、かえって不信感を抱く。
 津田は、吉川夫人から退院後の湯治静養を持ちかけられた。清子が湯治場にいるという。夫についてゆこうとしたお延をなだめ、津田は一人温泉場に向かった。そこには夫人の言葉通り、清子が流産後の身体を休めるため逗留していた。
 なぜ自分が背かれたのか、津田は真の理由を聞きたいと思い、清子に近づこうとする。暗い階段下で待ち伏せするかたちになって清子をおびえさせ、逃げられるが、翌日には清子は平静さを取り戻し、落ち着いて部屋で応対した。(漱石死去のため、話はここまでである)